「それゆけ宅配弁当丸」(大阪市)

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「母から受け継ぐもの」という幻想と、クックパッドの台頭。料理と女性の“距離”はどう変わったのか - 『小林カツ代と栗原はるみ』著者インタビュー(前編)

出版不況と言われながらも、どの書店でも一角に専用コーナーが設けられ、ズラリと並ぶレシピ本。

門外漢から見ればどれも似たようなレシピに思えるが、材料や調理法を眺めると、同じ料理でもまるで違う。

例えば、出汁はどのように取るか、市販の代替品を使うのか。

料理に対するスタンスは、レシピを提案する料理研究家の生き方、ひいては彼/彼女たちを支持する読者の生き方にも通じる。
 女性が働く時代に支持された時短料理の革命家・小林カツ代や、外食が日常になった時代に家庭料理を進化させた栗原はるみなど、料理研究家の人生と料理の指針をたどった『小林カツ代栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)。

それは同時に、女性が料理とどう向き合ってきたのかを知る史料でもある。

専業主婦が自身の存在価値を証明するために料理に力を注いだ時代、子育てと仕事の両立のために時短レシピを重宝する時代を経て、今、料理を囲む状況はどう変わったのか。

前編では料理と女性の距離、後編では趣味としての料理について、著者の阿古真理さんに聞いた。
――まず、どうして料理だけがいまだ女性の仕事として残り、さらにいえば女性性や母性を測る道具になってきたのでしょうか?
阿古真理さん(以下、阿古) 性別役割分業は人類始まって以来続いてきた要素があり、日常の料理は女性が主な担当で、男性はプレゼンテーションの料理――動物を絞めて捌く作業や村社会における祭りや祝いの料理を担っていたんです。

それがどんどん外注されていき、男の仕事が家庭から外部化されていった。

料理自体も徐々に外部化されつつもあるけど、それに男性も女性も反対するんです。
 というのも、料理には2つの側面がある。

1つは、程度は別として、料理して食べるという人間の基本的な欲望に基づく行為。

もう1つは、毎日品を替える、品数をそろえ、栄養のバランスを整える、食材を調達して管理するっていうトータルな家事としての料理。

その2つが一緒くたになっているから、この50年あまり女性たちが苦労してきた部分はあると思います。
――やるやらないは別として、家庭料理は手の込んだものを作らなければならない、という強迫観念に似たような思いを多くの女性が抱いています。


阿古 私の経験でいうと、夫と2人で暮らすようになって役割を分担していたものの、買い物や食材の管理など自分の負担が多いと不満を感じる時期がありました。

でも、仕事で食文化について書き始めてからいろんなことが見え、経験も加わって料理の段取りがうまくなったんです。

そうすると義務ではなく生活の楽しみ、趣味になった。

もちろん、いまだに義務になるときもありますけど。


 そういった側面がある一方で、女性が料理全般を任されていること自体は考えなくてはいけない問題です。

この本のために調べてみると、料理研究家の中には、お母さんやおばあちゃんが下手だったから、お父さんやおじいちゃんが料理を作っていたという人もいる。

得意な人がやればいいんですよ。

どうしても夫のセンスが残念なら自分で作って食べた方がいいでしょうが、実家に頼むとか、お気に入りのお惣菜やデリバリーを頼むとか。

そんなにしんどいならやらなくていい、ほかに方法はいくらでもあると自分を許すことも必要です。


――それを提唱したのが、小林カツ代さんです。

「(料理は)必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません」

「100おいしいことを目指さなくてもいいのよ」

「時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」

と、誰も言ってこなかったことをおっしゃった。


阿古 カツ代さんは亡くなられてまだ1年くらいですけど、もう再発見され始めているし、いま再発見が必要です。

カツ代さんがすごいのは、「楽をしたっていいじゃない」というときに、「そうざいにすればいい」じゃなくて、「こうすれば手作りでも簡単においしいものができるよ」と具体的に見せてくれたところです。

理研究家のレシピは、「大さじ○杯」と書いてあるけど、そのレシピがやがて読者の身についたときには、書いてあった量じゃなくなってるかもしれない。

でも、家族みんなが共有している味ができることは、とても大事なんです。


――味覚もそうですし、例えば自分で出汁をとるのかといった工程や食への考え方もそろってきます。


阿古 それが、子どもが将来一人で台所に立ったときの基準になるんですよ。

親のやっていたことを踏襲するか反発するかは自由ですけど、自分のベースがわかる。ある程度のことをやれば、子どもはその味を覚えて育つ。

だから毎日頑張らなくてもいいんですよ。

みんな自分に厳しすぎ、完璧を求めすぎ。

高度成長期の主婦のための雑誌を見てみると、「新婚さんはなかなかできないわね~」というところから始まってます。

 

――昔は新婚さんにレシピを教えるのが料理研究家の役割だったけど、今はクックパッドなどの投稿レシピサイトがあります。

クックパッドは料理の入り口としてはすごく便利ですが、賛否両論も。

特に男性は、「料理は女性が母から教えてもらうもの」という幻想を持っているがゆえに、ユーザー同士が簡単なレシピを教え合うことに違和感を唱えているようなフシも。


阿古 でも彼らのお母さんたちは、初心者向けレシピを載せていた当時の「主婦の友」をきっと読んでますよ。

メディアが変わっただけ。

レシピの素晴らしいところは、まったく作ったことがないものでもレシピを見たら作れるということ。

クックパッドの是非は相性の問題もあるのでなんとも言い難いですが、料理ができないから無理という状態に比べたら断然いいと思います。


――クックパッドは7月から隔月刊の定期料理生活誌「クックパッドmagazine!」(宝島社)を創刊しました。

この動きを、どうご覧になっていますか?


阿古 クックパッドのような集合知の知恵と、料理研究家の提案するレシピは共存していくと思います。

集合知は新しいものの、ヒットを生み出す効率の悪さがあるので、一貫性のあるレシピを提案する料理研究家の存在、その個人を通して伝わっていくものは求められるはず。松浦弥太郎さん(※)という力のある編集者が入ったことで、クックパッドもブラッシュアップはされるでしょう。

クックパッドで始めてうまくいく場合もあるけれど、うまくいかずに料理が嫌いになる人もいると思うんですよ。


――料理の基本工程が省かれているレシピが多いですからね。


阿古 そうなんです。

キャベツが余って困ったというときに、自分になかったアイデアを得るという使い方はありだと思うんですよ。

でも、まったくの初心者がクックパッドでイチから料理を学ぶには、ハードルが高い気がします。


――レシピを投稿する側には、レシピを通して自分を認めてもらいたいという承認欲求がありますね。


阿古 どうして料理研究家が誕生したのかといえば、料理上手な人が周囲の人に請われて教えたことがいつの間にかメディアに載って、料理研究家という肩書がつく、という大まかな流れがあるんです。

なので、「これ思いついた、これおいしかった」という情報をシェアしたい思いと、人間としての基本的な欲求の1つである自己表現の欲望が、メディアを得たことで広まってるので、時代の必然という感じはしますね。


(後編へ続く)


松浦弥太郎……文筆家。2006年~15年3月まで総合生活雑誌「暮しの手帖」の編集長を務め、4月からクックパッドに入社。

身に着けるものから食べ物、そして生活までインスタントなものを排除し、“本物”を愛する一貫した姿勢が男女問わずに幅広い層から支持を得る。


阿古真理(あこ・まり)
1968年兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。

著書に『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『昭和育ちのおいしい記憶』『「和食」って何?』(いずれも筑摩書房)など。

 

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小林カツ代栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書

高度成長期に人気を博した江上トミから、栗原はるみの息子・栗原心平まで、戦後日本の食文化をけん引してきた料理研究家の人生や、彼/彼女たちが台頭してきた社会背景を分析。

理研究家を追うことで、同時に時代ごとの女性の生き方の変遷をもたどっている。

また、ビーフシチューのレシピを定点観測することで、料理研究家の思想・スタンスが対比しやすくなっている。

 

2015.07.29
ソース元→ サイゾーウーマン ↓URLよりどーぞ
http://www.cyzowoman.com/2015/07/post_16757.html


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