プロ絶賛 大阪・河内鴨のムネ肉-鮮度抜群 しかも厚い
野生のカモとアヒルを掛け合わせたアイガモ。
かつて大阪府が飼養羽数で全国の8割を占め、地元ではウナギとともに夏場のスタミナ食として親しまれた。
今は市街化が進み、輸入物に押されて飼育農家は減ったが、鮮度と品質で関西の料理人から高い評価を受ける業者がいる。
ツムラ本店はアイガモの生産が盛んだった大和川沿いの街中にある。
「ピー、ピー」「グァ、グァ」。
飼育施設では生後間もないヒナや出荷前の成鳥が板塀で仕切られた部屋を走り回る。
1200平方メートル余りの敷地にはふ化、飼育、解体などの施設がある。
明治初めにふ化業者として創業したが、1970年代に宅地化と安い輸入品の流入で供給先の農家が激減。
肉の販売までの一貫生産に切り替えた。
輸入品に対抗するため打ち出したのが「生でも食べられる」(津村佳彦社長、50)鮮度と品質だ。
◇ ◇
その飼育管理と顧客への配慮は徹底している。
例えばヒナの飼育。
病気予防などの目的で餌に混ぜる抗生物質は使わない。
1~2割は死ぬが、「生食用に薬は適さない」(津村社長)。
生後20~30日で奈良県桜井市にある2万3000平方メートルの広い飼育場にいったん移し、平飼いする。
扇風機を稼働させ、風に向かって羽を広げる習性を生かし運動を促す。
厚いムネ肉をつくるためだ。
飼育期間は75日と一般の50日より長い。
「筋肉が締まり、適度に水分が保たれたコクのある味になる」(同)。
餌はコウリャンに小豆の皮や魚粉などを混ぜた独自のブレンド品。
原料の多くは無農薬栽培だ。
出荷の解体作業は朝4時。
夏でもまだ薄暗い中、津村社長以下6人でその日に出荷する分だけ処理する。
「朝びき」の鮮度を保つためだ。
1日平均150羽。
午後2時にはトラックが取引先に向けて出発する。
週1回買いに来る客などを含め取引先は150店あるが、9割近くはプロの料理人がいる飲食店という。
食肉店は1割にすぎない。
販売エリアも近畿圏に限っている。
「きちんと扱ってもらえるか目が届く範囲内で売る」(同)ためだ。
津村社長は週3回は河内鴨を扱うレストランに自ら足を運ぶ。
「肉の厚さや脂の量は1羽1羽で微妙に異なる。店の料理を食べ、その味に見合う肉を提供する」(同)ためだ。
自慢の味を確かめるため、ツムラ本店にほぼ毎日買い出しに行くという地元の日本料理店「和味(なごみ)」に向かった。
最近はアイガモというと冬のカモ鍋が人気だが、シェフの山崎貴光さん(43)は「冬だけではもったいない」と夏も定番料理として扱う。
「和味」では鴨黒こしょう焼など、夏も河内鴨を定番料理に
「和味」では鴨黒こしょう焼など、夏も河内鴨を定番料理に
「鴨しゃぶ小鍋」はムネ肉をだし汁に10秒ほどさらして食べる(大阪府松原市の和味)
「鴨しゃぶ小鍋」はムネ肉をだし汁に10秒ほどさらして食べる(大阪府松原市の和味)
その1つ、「鴨黒こしょう焼」はムネのロース肉、ササミ、砂肝の3種に塩とコショウをかけ、グリルで焼く。
肉のうまみが詰まって、香ばしさにビールが進む。
「鴨しゃぶ小鍋」は薄切りしたムネのロースを、薄いしょうゆ味の汁に10秒ほどさらして食べる。
すっきりと上品な味だ。
河内鴨を扱う日本料理店「和味」
河内鴨を扱う日本料理店「和味」
和味では8年前の開店当初からツムラの河内鴨を扱う。
山崎さんは「輸入物と食べ比べたら鮮度の違いが分かる。試食してすぐ使うことを決めた」と話す。
リーガロイヤルホテル大阪(大阪市)の仏料理店「レストラン シャンボール」のシェフ、豊田光浩さん(48)も肉の味や飼育への熱意にほれ込んだ 。
「本当は生で食べてほしい」というが、消費者に肉の生食への不安があるため、真空パックに詰めて60度の湯で熱処理して提供する。
前菜「河内鴨と野菜アビ・ヴェール」はうまみをとじ込めたムネ肉を使った1品だ。クセがなく柔らかい。
「来店客には河内鴨を知って指名で注文する方も多い」(豊田さん)
松原市には河内鴨を使ったレトルトカレー「合鴨カレー」もある。
松原商工会議所が地元産の野菜と煮込んだ商品を開発。
2010年に売り出した。
販売するのは同会議所とJAの直売所の3カ所だけ。
河内鴨は関西の希少品。
大阪に来られた際はその味を試してみてはいかがだろう。
<マメ知識>「あい鴨」は肉用アヒル
カモといえば狩猟した野生のカモを思い浮かべる人も多いが、大阪では家畜化したアヒルを大量に飼育するビジネスが発展した。
業者らは海外種や野生種との交配、飼料のブレンドなどを繰り返して肉質を改良。
大阪府立環境農林水産総合研究所によると現在、「あい鴨」「鴨」などの呼称で流通する肉のほとんどは実はこの肉用アヒルだ。
1960年代の生産最盛期には大阪市から隣の松原市辺りにかけて、放し飼いされた肉用アヒル(アイガモ)の白い羽で田んぼが覆われる光景も見られたという。
(東大阪支局長 石川正浩)
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[日本経済新聞夕刊2015年6月9日付]
ソース元→ 日本経済新聞夕刊 ↓URLよりどーぞ
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO87821320Y5A600C1NZ1P01/
「河内鴨」のツムラ本店HP
http://www.k-gamo.com/
大阪府松原市別所8-10-24
ツムラ本店HP「合鴨(あいがも)の豆知識」
あひるの語源
「玄海」を引くと「あひる」は「足のみずかき大きくして広くを言い『あしひろ』が転化したもの」と書かれている。
また、業者間では「ひる」と呼ばれているが、これは昔、京都で「ひる」と呼ばれていたものが伝わったものか、或いは北河内、中河内の湿田地帯で飼われていたあひるが「泥田あひる(どろたびる)」と称せられており、それが簡略化されたものか。
事実、明治時代の鶏肉商の看板には「ひる」「かしハ」と書かれていたことから、京都、大阪辺りでは「ひる」の俗称があったものと思われる。
現在市場では「合鴨」と呼ばれているが、合鴨は鴨とあひるを交雑して作ったものであるが、実態は「あひる」である。
大阪あひるのルーツ
あひる(或いは鴨)と人間との付き合いは、かなり古くからのものであったらしい。
最初は野生の鴨を飼い馴らし、家畜化したものであろうと推測される。
古代エジプト文明を表した壁画の中にも「あひる」らしいものが見られるし、ローマ時代後期にはドイツ産あひるが知られている。
又、中国でも早くから家畜化されており、渡り鳥として飛来した鴨類を家畜化したものであれば、洋の東西を問わず人間との生活をともにしてきたものであろうことは想像に難しくない。
大阪にあひるがいつ頃から飼われていたか。
記録によれば、豊臣秀吉が奨励したといわれ、又それより古く平安朝の時代から飼育されていたとの説もある。
「あひる」は、明治末期津村某により産業化が始まり、城東区茨田町周辺を中心とした湿地帯で飼育され、在来の青首あひるに、昭和7・8年頃ペキン種をもって改良された。
大阪を中心として発達したあひるは「天満神宮の夏祭りとあひる」と言って、土用丑の日に好んで食べられた。
鶏に比べ産卵量が劣ったものの、1羽年間100個余りを得ていたようで、製菓、中国料理のピータンに用いられてきた。
「あひる」の貧食性は水草や水中の小動物を好むため、放飼が昔から飼育手段ではあったが厨芥残渣等が入手容易になってからは、飼育の集約化からもこれの利用が盛んとなり、そのため豚とあひるの両者併用の飼育が盛んとなった。
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http://blogs.yahoo.co.jp/t_bentoumaru